死刑制度に関する是非

7月6日オウム真理教の教祖である麻原彰晃とその弟子たち計7人の死刑が同日執行された。

そして、想定通り死刑廃止論者及び死刑廃止国家が今回の件に関して声明を発表した。

 

もちろん死刑制度に関する是非というものは各国で問われ続けていて、強く反対する国もあればそうでない国もある。

 

私個人の意見としては死刑制度に関して賛成である。

だがそれと同時に、人権的側面から見たら死刑は犯罪者の命を奪い、人権国家では最も根幹で守られなければならない生存に対する権利を奪っているので、死刑執行という行為が人権侵害であるのは明白であろう。

もちろんこの考えは犯罪者に対してのみ焦点を当てた場合の理論である。

だが、私の考えでは、諸外国からは先進国とされ、ある程度は法治国家だと見なされている日本で死刑の判決を受ける犯罪者は相当な残虐行為を行っているケースが殆どだ。

例えば今回問題とされているオウム真理教の事件の被害者は相当な数(死者だけでなく負傷者も含む)に及び中には深刻な後遺症に苦しみ、今でも生きることに対して支援を必要とする人々もいる。

事件に対する被害者や遺族に対しての感情を目の前にして果たしてオウム事件犯人には人権が存在し、彼らにも生存権が守られなければならないと面と向かっていうことが出来るのであろうか。

一方で、被害者団体の中には麻原が無言を貫いている以上真相が不明であるので本人の口から何らかのことが語られるまで、刑の執行は行うべきでないと主張するものもいる。確かに事件に至るまでの真相、動機といったもの教団の設立に至った経緯は麻原本人しか語ることはできないであろう。確かにその通りだ。

しかし、逮捕直後、公判中、死刑判決確定後の二十数年間本人の口から何ら真相は語られることは無かった。それどころか本人はまともに事件に対する反省すら見せようとしなかったのである。ここからは私の推測であるが、今までの拘置所内での行動や死刑執行に対しての状況を鑑みて、真実を語らないことで本人は刑の執行を免れようとしたのではないかと私は考えている。

可能性的に考えれば、刑を執行しなければ本人の口から直接、真相を語ることはあったかもしれない、だがそれは今までの言動から考えてほぼゼロと考えても過言では無かったように思える。

また、従来からも展開されている理論であるが死刑囚を一日拘置しておくだけでも私たちの貴重な税金がかかっているのも事実である。

そう考えれば何十年も死刑執行をしなかったのは明らかに遅すぎた行為であると考える。

 

ここで、死刑執行に関しての是非についての話題に戻ろう、私の考えでは人間は感情によって動く生き物であると考える。

皆さんも怒り、喜び、悲しみ、怒りなどといった感情を感じたことがあるでしょう。

そうしてその感情に基づいて行動したこともあるでしょう。

日常生活でもそうです。あなたに負の感情を与える人と、そう出ない人、どちらと一緒に居たいか選べと言われたら大抵の人は後者を選ぶでしょう。

それにエコひいきをした事も皆さんあるでしょう、この事も感情由来の行動であると私は考えて居ます。それに社会ではコネだとかそういうものも重要視されますよね、それもそうで、私たちの社会では感情というものがかなり重要なものになっているのは明らかです。

 

そこで一つ例を出します。

例えばあなたに、とても好きな人、大切な人、かけがえの無い存在である人が居るとします。もしその人が、だれかによって不当に、理不尽に命を奪われたとしたらあなたはそれを許すことが出来るでしょうか。

もちろん人によっては月日が流れ、加害者からの反省の念を込められたメッセージを受け取り続ければ許すこともできるでしょう。

でももし仮に、加害者が公判中反省の色を見せつつも、結審後に、人権を盾に自身の権利を声高く主張し、法律で定められた以上の罰は受けないといい、何の反省も見せな

くなりました、その場合は本当に相手を許すことができるでしょうか。

大部分の人はそうで無いと答えるでしょう。そうして刑務所から出所した時に何らかの形で報復をする可能性だって相手の対応によってはあるでしょう。

そうなればその先にあるのは法治国家の崩壊で私刑を助長する制度になりかねません。

もちろん残虐は犯罪に対して終身刑を適用すればその限りでない、報復も防げると主張する人もいるでしょう。

ですが、加害者は被害者の人権を奪っているわけです。そしてどんなに凶悪な犯罪をしたところで、刑務所で服役してる以上、一定の人権というものは担保されている訳です。

そうなれば人によっては許さないと思える人もいるでしょう。

もちろんそれは感情論であると言うのは明らかです。ですが人は感情で動く生き物であると言うのも事実です。

そして犯罪には被害者がいます、そしてまた遺族がいる訳です。

その人たちの意見を汲むこともまた必要なのではないでしょうか?

確かに加害者にも人権は有ります。ですが人ができないような残酷な所業を行った人間

に対して果たしてそうであると言い切れるのでしょうか?遺族や被害者を前にあなたは残虐な行為を行った人間の権利を尊重しろと言い切れますか?

私はできません。それらの行為は、人間を侮辱しているようにすら、むしろ被害にあった人達の人権を蹂躙しているように思います。

 

改めて言いますがこれらは感情論です。でも私たちは感情から逃れられない生き物である以上倫理や理性の側面のみで物事を考えるのでなくしっかりと以上のことについて真剣に向き合う必要でないのでしょうか?